城跡の地図
宇利城
別名
所在地 新城市中宇利字仁田
遺構等 曲輪、石垣、井戸、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年 天明年間(1469-87)
築城者 熊谷重実
歴代城主 熊谷
形式 山城(比80m)
登城口から主郭まで約10分
訪城日 2008/3/16
国道301号「富岡」信号を東へと県道81号に入り、2.5km程東進した「中宇利」信号を左折します(案内有)。あとは案内に従って左折、右折すると右手の田んぼに宇利城の説明板があります。ここが登城口です。田んぼ沿いの通りを説明板が見える付近から少し通り過ぎるた付近に駐車可能です。

本丸

井戸


【感想・メモ】
7分程登ると松平右京亮の墓があり、その先の井戸を見ながら本丸へ。本丸には朽ち果てた宇利城の看板と立派な城跡碑、そして縄張図付きの説明板もあります。本丸に「←石垣」という案内があり、そこから西へ下りて行ったら、この辺はかなり笹があり足元が見難いです。石垣は思ったより大した事無く、土留め用の石積みといった感じで、本丸南斜面や竪堀の石垣の方が見応えあるかも?本丸東の姫御殿は藪だらけ、本丸から北にある納所平の間の空堀や土塁を見て一周したら、大きな井戸が2つあったけど、本当はあと1つあるとか。この3つのどこかに黄金が隠されたって伝説があるそうですが、真実はいかに?ここは、冬場でも思ったより下草があって、納所平とか御馬屋平も見難かったです。残念!
宇利城縄張図  原図:高田徹氏
愛知県中世城館跡調査報告書V(東三河地区)より
文明5年頃(1473)、源平の合戦で活躍した熊谷次郎直実の末裔・兵庫頭重実が築城した。享禄3年(1530)、東三河へ進出してきた松平清康が、吉田牛久保田原西郷伊奈野田作手田峯を既におさめ、宇利熊谷氏を従えようと攻めてきた。よく戦ったが、城内から松平方に内応する者が出たため落城した。
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