城跡の地図
牛久保城
【道案内】

別名 牛窪城
所在地 豊川市牛久保町城跡
遺構等
現状 神社、空き地
築城年 享禄2(1529)
築城者 牧野成勝
歴代城主 牧野、荒尾
形式 平城
訪城日 2008/2/11
うしくぼじょう
【歴史】
TOPページへ
JR飯田線「牛久保駅」のすぐ東北。国道151号「城下」信号から1本北上した信号「高原」を左折します(角に消防署有)。300m程進むとJRの踏切がありますが、この踏切のすぐ手前右手が城跡です。
【感想・メモ】
道路からすぐの所に説明板があり、この付近の史跡案内図もあります。これを見て、あちこち見て回ると楽しいです。奥へ入ると城址碑があります。

享禄2年(1529)牧野城一色城吉田城を築いた牧野古白の子・成勝が築城し、一族の保成を城主とした。弘治年間(1555-58)、成勝の反今川の行動から義元が報復し、保成は西条城(西尾城)へ移された。そこで牛久保城は今川氏の家臣による城番制となった。永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると松平氏が攻めてきたため、永禄8年従うようになった。天正18年(1590)家康の関東移封に伴い上野国大胡に2万石を賜り、越後長岡藩の祖となった。牛久保城は吉田城主・池田輝政の家臣・荒尾平左衛門が入ったが、元禄13年(1700)廃城となった。