城跡の地図
田原城
別名 巴江城
所在地 田原市田原町巴江
遺構等 曲輪、空堀、石垣、井戸
現状 公園、博物館
築城年 文明12(1480)
築城者 戸田宗光
歴代城主 戸田、本多、三宅
形式 丘城
訪城日 2003/5/17
【道案内】


【感想・メモ】
たはらじょう
【歴史】
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井戸
国道259号「郷中」信号を北へ入り、800m程北上して豊橋鉄道を横切り、更に800m程進んだ「田原萱町」信号を右折します。そこから800m程北上した左手に「護国神社」や「田原市博物館」があります。この付近一帯が城跡です。
神社の鳥居の所に城址碑と説明板があります。水堀越しに見る桜門はとってもステキなんですが、行くたびに門の前に車が停まっていて写真を撮るのに邪魔なんだよなぁ。博物館では田原出身の渡辺崋山に関する展示が多いです。
文明12年(1480)、渥美半島で勢力を誇った戸田宗光が築城した。宗光の死後、田原城は憲光が城主となったが今川氏に属した。吉田城主・牧野古白と争い、永正3年(1506)今川氏親と共に吉田城を攻めた。天文16年(1547)、今川氏への人質として松平広忠が竹千代(家康)を駿河へ送る際、4代目・宗光と5代目・堯光父子は途中で竹千代を奪い、尾張の織田信秀に渡した。これにより今川氏に攻められ、田原城は落城した。その後、渥美半島は今川が支配したが、永禄8年(1565)、家康の家臣・本多広孝が攻め、今川を追放した。天正18年(1590)家康の関東移封に伴い、広孝は上野国白井へ2万石で移った。以後、城主は入れ替わりながらも明治まで城は存続した。