享徳年間(1452-55)、本多定忠が伊奈を平定してここに城を築いた。定忠は伊奈本多氏の祖となった。享禄2年(1529)、4代目・正忠は松平清康に属し
吉田城を攻めた。正忠は戦功を挙げ
吉田城を落とし、
田原城をも攻めたが、戸田氏が降伏したため伊奈へ凱旋した。正忠は酒肴で勝利を祝った。その時、城池「花が池」の水葵に肴を盛った。清康は吉瑞として喜び、正忠に願い出て微号とした。これが徳川家の三葉葵の紋の起源といわれる。天正18年(1590)家康の関東移封に伴い、下総小篠郷に移封となったため伊奈城は廃城となった。