国府台城

【道案内】
城跡の地図
別名 市川城
所在地 市川市国府台3丁目9
遺構等 土塁、空堀、碑、説明板
現状 里見公園
築城年 文明10年(1478)
築城者 太田道灌
歴代城主 太田、千葉
形式 平山城
訪城日 2009/2 感想
こうのだいじょう
【歴史】
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京成本線「国府台駅」から北へ約1.2km。国府台駅から県道1号で1.2km程北上し、「東京医科歯科大教養部」を過ぎてすぐの路地を左折します。350m程西進すると右手に「里見公園」があり、ここが城跡です。江戸川のすぐ東岸となり、先程の通りを川沿いまで下り(西進)、突き当たったら右折、150m程北上した左手に無料駐車場があります。
城址碑

【感想・メモ】
土塁や堀跡が残っているものの、公園整備で手を入れてしまっていて全体的に掴みづらいです。公園南東に城址碑があり、その西側はバラ園になっています。この奥(西)に夜泣き石や亡霊の碑があり、北方の土塁上に明戸古墳石棺があります。
文明10年(1478)、太田道灌が酒井根合戦の際に陣城として築いたと言われている。以後、国府台城は幾度か戦火に見舞われた。天文7年(1538)小弓城の小弓公方・足利義明が、久留里城主・里見義堯ら1万余勢を従え関宿城攻撃のために北上した。対する北条氏綱・氏康勢ら2万の兵とこの地で対陣し、里見勢が退却した第1次国府台合戦。永禄6年(1563)、上杉謙信は武田信玄が攻める上州倉賀野城救援のため、岩槻城主太田資正、佐貫城主里見義弘らに兵糧調達を命じた。その情報を入手した北条氏康・氏政は2万の軍勢で進撃、翌永禄7年、国府台城周辺で里見・太田軍8千と戦闘になり、里見・太田軍が敗北した第2次国府台合戦。天正18年(1590)北条氏滅亡後、家康の江戸入封に伴い、国府台城は廃城となった。