倉賀野城 |
JR高崎線「倉賀野駅」から南西へ約1km。倉賀野中学校の東側道路を南下して突き当りを左折し、50m程東進した1本目の路地を右折して50m程南下すると、道路突き当たり左手に「雁児童公園」があります。この公園付近一帯が城跡です。 |
今では宅地開発され、城跡の面影は全く無く、公園に城址碑と説明板があるのみです。公園のすぐ南に烏川が流れるのを見て、往時に思いを馳せるのが良いでしょう。 |
初めて倉賀野氏を称したのは源平の時代で、児玉党の秩父三郎高俊といわれ、応永年間(1400頃)、倉賀野頼行が築城した。天文15年(1546)夏、上州八家の一つ倉賀野三河守は、武州川越の夜戦で戦死した。宮原の庄に金井小源太秀景、須賀佐渡守らが名を連ねる倉賀野党十六騎があり、倉賀野を守っていた。西上州はその頃、武田、上杉の合戦場だったが、永禄2年(1559)武田信玄が板鼻に陣取っていた時、一党の総代として金井小源太が信玄の陣に使し、倉賀野淡路守と改号された。天正18年(1590)倉賀野城は落城した。(現地説明板参照) |
別名 | 雁城 |
所在地 | 高崎市倉賀野町 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | 雁児童公園 |
築城年 | 応永年間(1400頃) |
築城者 | 倉賀野頼行 |
歴代城主 | 倉賀野 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2008/3/29 |
くらがのじょう |