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岐阜県のお城 ふるかわじょう
古川城
別名 蛤城
所在地 岐阜県飛騨市古川町高野
遺構等 山林
現状 曲輪、石積み、土塁、堀切、竪堀、碑、説明板
築城年
築城者 古川氏
歴代城主 古川、姉小路、牛丸、塩谷、三木 金森
形式 山城(比85m、標629m)
訪城日 2019/11/3
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
「道の駅 アルプ飛騨古川」から国道472号で250m程北上して左折し宮川を西へ渡って右折します。県道471号を300m程北上して左折し「吉城コンポ」(肥料工場)を過ぎると、左手に石が積まれ、右手に資材置場がありますが、この資材置場に向かって左横に登城口があります。
【感想・メモ】
城址碑の横に丸い模様が入った蛤石と呼ばれる変わった石がありました。そのため、別名・蛤城と呼ばれているようです。虎口には石が2つあり、所々に石がありました。竪堀や堀切もですが、切岸が急で高いのが見所です。
【歴史】
姉小路氏は、家綱が南朝から国司に任ぜられ向小島城に居城したが、家綱の孫・基綱が北朝から国司に任ぜられ小島城あるいは古川城を居城とした。応永年間(1394-1428)、小島氏(小島城)、向氏(向小島城)、古川氏(古川城)の三家に分離した。大永元年(1521)頃からこの三家は争い、更に南の三木直頼が小島家・向家に加担して、享禄4年(1531)に古川城を攻めたため落城した。弘治元年(1555)、三木直頼の子・良頼は小島城向小島城も攻め落とし、古川城も落城させた。永禄3年(1560)、良頼と子の自頼が古川氏を称して古川城を拠点とした。天正13年(1585)、金森長近の飛騨侵攻で落城し、金森氏が入ったが、増島城を築城して移ったため廃城となった。
【参考資料】
岐阜県中世城館跡総合調査報告書

登城口(電柱は撤去された)
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