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岐阜県のお城 いわむらじょう
岩村城
別名 霧ヶ城
所在地 岐阜県恵那市岩村町城山
遺構等 曲輪、堀切、石垣、井戸、櫓台
現状 城址公園
築城年 文治元年(1185)
築城者 遠山景廉
歴代城主 遠山、秋山、河尻、森、田丸、大給、丹羽、大給
形式 山城(比140m、標714m)
訪城日 2023/5/26 感想
【道案内】 麓の駐車場の地図 出丸駐車場の地図 城跡の地図
城山の北西麓、太鼓櫓がある奥に山麓の駐車場があります。また、山頂付近の出丸駐車場へは城山の南東、国道418号に入口があります。
【感想・メモ】
このお城は何と言っても石垣がスゴイです!大手道を登る度、感嘆の声をあげてしまいます。あまりの素晴らしさに日本三大山城といわれても、苦も無く登れちゃいます。また出丸南や本丸東の山林には中世の遺構である堀切も楽しめます。
【歴史】
文治元年(1185)、加藤(遠山)景廉が築城した。室町時代には景廉の子孫といわれる岩村遠山氏の本拠地だった。戦国期に入ると遠山氏は織田・武田の二大勢力に挟まれた。元亀元年(1570)城主・景任が没すると、信長の子坊丸(後の勝長)が養子となり跡を継いだ。しかし、武田氏家臣・秋山信友が侵攻し城を占拠して東濃における武田氏拠点とした。天正3年(1575)長篠の合戦後、織田信忠は岩村城を開城させ河尻秀隆を置いた。天正10年、秀隆は甲斐に転封となり替わって団忠正が城主となったが、その直後、本能寺の変で忠正は討死した。その後、金山城主・森長可の家臣・各務兵庫に守らせた。慶長5年(1600)、森氏が信濃川中島に転封され田丸直昌が入ったが、同年の関ヶ原の合戦で西軍に属し、東軍の遠山氏らに包囲され退去した。翌慶長6年より大給松平氏が二代続き、寛永15年(1638)より丹羽氏が五代続いた後、元禄15年(1702)、再度大給松平氏が城主となって明治まで続いた。
参考資料
岐阜県中世城館跡総合調査報告書
岐阜の山城ベスト50を歩く

本丸埋門

六段壁

昇龍の井戸

太鼓櫓
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