城跡の地図
金山城
別名 鳥峰城
所在地 岐阜県可児市兼山
遺構等 曲輪、石垣、井戸、門跡、堀切、竪堀、土塁、碑、説明板
現状 山林
築城年 天文6年(1537)
築城者 斉藤正義(妙椿)
歴代城主 斉藤、森
形式 山城(比160m)
訪城日 2005/7/9
【道案内】


【感想・メモ】
かねやまじょう
【歴史】
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出丸
天守台西南の隅石
国道21号「高倉口」信号から150m程東進した交差点を左折して県道351号に入ります。1.7km程北上すると兼山町に入りますが、入ってすぐに「古城山」「金山城」等の案内があるのでそこを右折します。右折後すぐ左手に駐車場があり、そこから登山道がありますが、上の出丸まで車で行く事も可能です。更に道なりに上っていくと途中「すれ違いができません」という内容の注意表示がありますが、車1台なら十分な広さ、すれ違いも出来る道幅の所があちこちにあります。上まで車で行くとそこは出丸で、そこから歩き出すとすぐに三の丸です。
車で上まで行ったらすごく楽して、いい所が見られます。出丸の石垣、三の丸の門跡と石垣、二の丸も門跡や石垣など、そして主郭への枡形虎口など素晴らしいです。城域はかなり広く、石垣もあちこちにあり、見所盛り沢山で、搦め手側の門跡が特にカッコいいです。主郭には社殿があり、その裏手に回ると井戸跡もあります。このお城は本当にオススメです!
天文6年(1537)、斎藤正義(妙椿)が築城した。天文17年、久々利城主・土岐三河守に正義が討たれ、土岐十郎左衛門が入った。永禄8年(1565)、織田信長の家臣・森可成が金山城を落とし、戦功により金山城を与えられた。その後、嫡子・長可、長可の弟・蘭丸、長可の弟・忠政が継ぐが、慶長5年(1600)、犬山城主石川光吉の領地となり、関が原の戦いの後は犬山城番の松平忠頼が在番した。翌慶長6年、犬山城主・小笠原吉次が金山城を破却した。
主郭北石垣