青田山砦 |
東曲輪
永禄11年(1568)、徳川家康は武田信玄と大井川を境に駿河・遠江を分割することを約束し、遠州に進攻した。同年12月、今川氏真は信玄に駿府を追われ、掛川城の家臣朝比奈泰朝に身を寄せた。そこで、徳川家康は掛川城周辺に4つの付城を築き、そのうち青田山砦には三河の形原・竹谷・福釜・東条の松平氏が拠り、半年に亘って掛川城を攻めた。これによりこの地は陣場峠とよばれるようになり、麓には取手、矢崎などの地名が残っている。また、天正2年(1574)年、武田勝頼が高天神城を攻めた際、城主小笠原長忠は浜松城の家康に援軍を求めた。この地を高天神城の信号所として目をつけていた家康は、使者に「援軍が必要な時には青田山(陣場峠)に狼煙を揚げよ」と言った。暫くして青田山より狼煙が3回ほど揚げられたが援軍は来ず、食料はつき、武田氏に降参した。 参考資料 『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会発行 『日本城郭大系』新人物往来社発行 現地説明板 |
茶畑を抜けると山頂に「陣場峠」の説明板があり、一段高く盛り土した所に石碑がたっています。ここに塩の道が通っていたようで整備され、眺望がとても良く、掛川城も見下ろせます。この南西に堀切があり、その南に西曲輪があるようです。 |
この道を進む
左手のカーブミラーに「秋葉道・塩の道」の表示有
JR「掛川駅」から南東へ約1.5km、市立総合病院の南南西の小山が城跡です。東名高速道路「掛川インター」出口から西へ200mの「上張南」信号から県道38号で400m程南下してトンネルを抜け、更に500m程南下した秋葉神社手前、青田バス停付近で左折します。民家の間の道を北へと上がっていくと(県道の1本北の十字路にあるカーブミラーに「秋葉道・塩の道」の表示有)茶畑となり、その山頂が城跡です。車は県道の1本北の通り沿い余白(トンネル付近)に停めました。 |
別名 | 陣場峠 | ||
所在地 | 静岡県掛川市板沢 | ||
遺構等 | 曲輪、説明板 | ||
現状 | 山林、茶畑 | ||
築城年 | 永禄12年(1569) | ||
築城者 | 徳川家康 | ||
歴代城主 | 松平氏 | ||
形式 | 山城(比40m) | ||
訪城日 | 2010/5 | 感想 | △ |
あおたやまとりで |