三重県のお城
かんべじょう
神戸城
別名 本多城
所在地 鈴鹿市神戸本多町
遺構等 天守台石垣、堀、大手門、移築櫓、碑、説明板
現状 公園
築城年 弘治年間(1555-58)
築城者 神戸利盛
歴代城主 神戸、山路、本多
形式 平城
訪城日 2007/7/14 感想
【道案内】 城跡の地図
近鉄鈴鹿線「鈴鹿市駅」から西南へ約750m、伊勢鉄道「鈴鹿駅」から西へ約1km。県立神戸高校付近が神戸城で、高校の西側に天守台石垣を残す公園があり、公園北側に駐車場が完備されています。

【感想・メモ】
土塁や水堀がしっかり残っている上に、天守台石垣まであり格好いい!

移築大手門:顕正寺(四日市市西日野町2972)にある。高さがある高麗門。
移築太鼓櫓:蓮華寺(鈴鹿市東玉垣町994)にある。寺の正面からでも背後からでもいい感じ。

見附の土塁:神戸城の城下町入口両側に石垣があり、間には木戸があって番所があった時の見附の立派な土塁が現存している。この伊勢街道には古い町並が残っていて情緒がある。伊勢街道は現在、県道8号になっており、見附の土塁は神戸城からだと、近鉄鈴鹿市駅の西側の線路を横切り北上するとある。(地図

【歴史】
貞治6年(正平22,1376)、亀山城主関盛政の長男盛澄は領地を分け与えられ沢城を築き、神戸氏を称した。弘治年間(1555-58)、7代目・利盛が城を沢から神戸へ移し、東に岸岡城、北に高岡城を築いて支城とした。永禄10年(1567)、信長軍が高岡城を包囲するも落城せず、翌年、信長の三男・三七郎(信孝)を神戸城主・友盛の養子にする事を条件に和睦した。元亀2年(1571)、信長は友盛を沢城へ隠退させ、信孝を神戸城主とした。その後、城主は入れ替わり、寛永13年(1636)、城主だった一柳監物直盛が伊予国西条へ移封となり、15年間天領となったが、その後、破却された。

見附の土塁
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