高岡城 |
別名 | |
所在地 | 鈴鹿市高岡町字茶山 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、碑、説明 |
現状 | 高岡城跡公園 |
築城年 | 室町時代 |
築城者 | 山路弾正 |
歴代城主 | 山路、小島 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2004/11/20 |
たかおかじょう |
四日市市大治田町で、国道1号「大治田インター」信号を南へと県道103号に入ります。内部川をを渡り、左手に「河原田駅」があるのを過ぎ、更に350m程南下すると高岡団地に入る信号があるのでそこを右折します。この前方の山が城跡ですが車で上まで行けます。 |
団地の一番端っこのこの道をキープしながら山の周囲を回っていくと、山の西南側から高岡城跡公園へと登る道があります。これを登っていくと上に駐車場があります。公園からの見晴らしが良く、眼下に鈴鹿川を望めます。またお城の説明付の石碑もあります。公園から駐車場の向こう側である西の方へ行くと、空堀と思われるものがありました。また、駐車場から北側へ行くと、曲輪と土塁が見られます。 |
築城年代は不明ですが、神戸友盛の家老・山路弾正が城主だった頃の永禄10年(1567)初秋、織田信長が大軍を率いて攻めてきたが防いだ。翌年2月、再度攻めてきたものの、これにも屈しなかったため、信長は三男の信孝の養子を条件に和睦した。元亀2年(1571)正月、信長が友盛へ隠居を命じた。その際、主君友盛への謀反を企んでいた山路弾正は不意を襲われ自害に追い込まれた。その後、信孝血縁の小島兵部が城主となった。 |