島原城
別名 森岳城
所在地 島原市城内
遺構等 復興天守、濠、石垣、西櫓、巽櫓、
二の丸城壁、曲輪、碑、説明板
現状 島原城跡公園
築城年 元和4(1618)
築城者 松倉重政
歴代城主 松倉、高力、松平、戸田、松平
形式 平城
訪城日 2007/11/26
しまばらじょう
【道案内】 城跡の地図
島原鉄道「島原駅」から西へ約300m。「島原駅」南西側で国道251号から西へ入り、200m程西進した正面が城跡ですが、突き当りを左折し、水堀沿いに時計回りに500程進んだ城跡の南西側から城内の有料駐車場に入れます。

詳しくはこちらをご覧下さい。 島原城ホームページ
【感想・メモ】
天守の中は、島原の乱に関する資料が沢山あります。中に入る時に解説テープを渡してくれ、順路に従って番号順に見ていくと分かりやすいのですが、解説テープに合わせて動いていると、かなり時間がかかります。城跡のすぐ西側にある「島原商業高校」の西側の通りには古い武家屋敷が残る町並みが見られます。中を見学できるのは2軒だけですが、町並みの雰囲気はカッコいいので、あわせて見るのをオススメします。
【歴史】
元和2年(1616)、大和五条二見から4万石で松倉重政が日之江城へ入ったが、元和4年にこの地に新城(島原城)を築城し、日之江・原城を廃城とした。この島原城築城時の苛酷な夫役と重税、そして前代・有馬氏はキリシタン大名で宣教活動をしていたのに対し、時代が禁教と変わったのに加え松倉氏の厳しいキリシタン弾圧の結果、重政の子勝家の時、寛永14年(1637)に島原の乱が起こった。この乱後、勝家は切腹となり松倉家は断絶となった。松倉氏改易後、遠江浜松より高力忠房が4万石で入封した。寛文9年(1669)、2代高長は暴政を行ったとの事で改易となり、丹波福知山から深溝松平忠房が6万5千9百石で入封した。松平氏は5代続いた後、下野宇都宮に転封となり、入れ替わって戸田氏が入り2代続いたが、安永3年(1774)再度戸田・松平氏が入れ替わり、以後松平氏が8代続いて明治を迎えた。