福知山城
室町末期、小笠原頼勝が築城し、当時は横山城と呼んでいた。頼勝の子・頼氏は横山大膳と称し、福知山盆地に勢力を誇った。天正7年(1579)織田信長の命を受けた明智光秀は、横山頼氏の子・信房が居城していた横山城を落とし、丹波を平定した。光秀は信長から丹波を与えられ、横山城を大改修し福智山城と改名した(福知山となったのは江戸時代)。天正10年、明智光秀は本能寺の変で織田信長を倒したが、山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ、丹波は秀吉の領地となった。天正11年、秀吉の正妻ねねの叔父にあたる杉原家次が福知山城主となったが、家次が病死し、丹波の土豪で秀吉配下の小野木重勝が3万石で城主となった。しかし、慶長5年(1600)関ヶ原合戦で小野木重勝は西軍に属したため切腹した。替わって遠江横須賀から有馬豊氏が8万石で入封した。元和6年(1620)豊氏が筑後久留米に転封した後、城主は岡部、稲葉、松平氏と替わり、寛文9年(1669)朽木植昌が3万2千石で常陸土浦から入封した。以後、朽木氏が14代続いて明治を迎えた。
【歴史】
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JR、北近畿タンゴ鉄道「福知山駅」から東へ約1km。福知山市役所の東約250mにある公園が城跡で、公園東側に駐車場が完備されています。
石垣が良く残っている上、復興天守もなかなか渋くてカッコいいです。この天守の中は郷土資料館となっています。銅門番所は現存です。更に塀や櫓も復元されて、見て楽しめるようになっています。
【感想・メモ】
城跡の地図
【道案内】
別名 臥竜城
所在地 京都府福知山市内記1丁目
遺構等 復興天守、石垣、天守台、多聞櫓、銅門番所、曲輪、碑、説明板
現状 公園
築城年 天正8(1580)
築城者 明智光秀
歴代城主 明智、杉原、小野木、有馬、岡部、稲葉、松平、朽木
形式 平山城
訪城日 2006/10/8 感想
ふくちやまじょう