原城
別名 日暮城
所在地 長崎県南島原市南有馬町浦田町
遺構等 曲輪、石垣、空堀、枡形虎口、碑、説明板
現状 城址公園、畑、林
築城年 明応5(1496)
築城者 有馬貴純
歴代城主 有馬
形式 平山城
訪城日 2007/11/27
島原鉄道「原城駅」から北東へ約500m。城は城址公園として整備され、本丸手前に無料駐車場があります。
【感想・メモ】
本丸北側の枡形虎口が大きくてびっくり。本丸は広く、天草四郎像もあった。本丸北東側に門跡があり、この付近の石垣が素晴らしい。本丸の北側に大きな空堀があり、その北東が二の丸で、二の丸から見る本丸の姿が美しい。二の丸の西が二の丸出丸、その北が三の丸だが、どこも畑になっている。三の丸の東側に大手門跡がある。本丸の西が鳩山出丸で更に南に天草丸があるが、やはり畑か藪だらけの荒地で、表示板だけがあったりする。ただ、全体を見てまわり、規模の大きさと丘陵上の地形を上手く利用して築城されているのに驚いた。かなり堅固な城という印象を受けたが、島原の乱では一揆勢約3万7千が皆殺しだったと思いを馳せながら見ると感慨深い。
城跡の地図
【道案内】
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はらじょう
【歴史】
明応5年(1496)、日之江城主有馬貴純が築城した。慶長19年(1614)、岡本大八事件が原因で有馬直純は日向延岡に転封となり、大和五条二見から4万石で松倉重政が日之江城に入った。重政は、島原城を築城し、日之江・原城を廃城とした。寛永14年(1637)、島原の乱が勃発し、3万の一揆軍は有馬・小西の旧臣の指揮の下、原城を修復して立て籠った。この戦いは3ヶ月間に及び、ついに天草四郎以下一揆軍全員が討たれ落城した。