延岡城
【歴史】
駐車場付近が内堀だったようで、内堀跡の標柱がありました。復元大手門をくぐり公園の中に入っていくと、「千人殺しの石垣」がいきなり出迎えてくれます。公園へ入る途中、右手に内藤氏墓碑と供養塔がありますが、公園から見下ろすと壮観な感じ。二の丸から枡形を通ると本丸となり、更に奥へ行くと天守台跡となります。この天守台跡には、鐘撞堂があり、虎口がカッコイイです。そこから本丸と反対側へ下りると三の丸があり、庭園になっていました。石垣はカッコイイし、曲輪は広く、眺望も良いので、気持ちいいお城です。
【感想・メモ】
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城跡の地図
【道案内】
JR日豊本線「延岡駅」から南西へ約1.3km。延岡市役所から南西約200mの城山公園が城です。国道10号に城の案内が出ており、公園の麓に無料駐車場が完備されています。
別名 県城、亀井城
所在地 宮崎県延岡市東本小路
遺構等 曲輪、石垣、説明板
現状 城山公園
築城年 慶長8(1603)
築城者 高橋元種
歴代城主 高橋、有馬、牧野、内藤
形式 平山城
訪城日 2006/11/19
のべおかじょう
慶長8年(1603)、延岡藩主・高橋元種が築城した。元種は松尾城(市内松山町)を拠点としていたが、鉄砲の普及による戦法の変化に対応するため、五ヶ瀬川と大瀬川に囲まれた丘陵に近世城郭を築いた。慶長18年、元種は改易となり、肥前国日之江の有馬直純が5万3千石で入封した。承応元年〜明暦元年(1652-55)、康純の時、城を大改修した。元禄4年(1691)、永純が越後国糸魚川に転封となり、日向国初の譜代大名として三浦明敬が下野国壬生から2万3千石で入封した。明敬は正徳2年(1712)三河国刈谷に移封となり、牧野成央が三河国吉田から8万石で入封した。しかし、延享4年(1747)、常陸国磐城平から内藤政樹が7万石で入封し、内藤氏が8代続いて明治を迎えた。