刈谷城
別名 亀城
所在地 愛知県刈谷市城町
遺構等 曲輪、土塁、水堀、碑、説明板
現状 亀城公園
築城年 天文2(1533)
築城者 水野忠政
歴代城主 水野
形式 平城
訪城日 2005/1/23
【道案内】
城跡の地図
亀城公園一帯が城で、公園周辺に無料駐車場が点在しています。

【感想・メモ】
刈谷城の本丸と二の丸の一部は、現在、亀城公園となっており水堀がそこそこ残っています。「城町」信号付近に城址碑があり、本丸、二の丸等の碑があります。すぐ北側の刈谷市歴史博物館では刈谷城のジオラマや万燈祭り、山車等の展示が見られます(無料)。南東の郷土資料館と刈谷図書館(城町図書館)の間の道路沿い、亀城小学校の南辺に大手門跡の碑もあります。また、家康の母・於大の方は家康の松平広忠と離縁した後、阿久比の久松家へと再婚するまでの一時期、父親の水野忠政(刈谷城主)の所へ戻り、すぐ近くの椎木屋敷に住んでいました。この椎木屋敷へも亀城公園から東へ約200mです。

【歴史】
天文2年(1533)、緒川城主・水野忠政が築城した。天文10年、忠政は娘・於大を岡崎城の松平広忠に嫁がせた。この二人の間に生まれたのが家康である。天文12年、忠政が死去し信元が跡を継いだ。信元は織田氏と通じたため広忠が怒り・於大と離別した。天正3年(1575)、信元は佐久間信盛のために武田と通じていると疑われ岡崎の大樹寺で切腹した。その後、刈谷城は佐久間信盛が居城したが、天正8年、信元の無罪が明らかになり、信盛は追放され、信元の弟・忠重が城主となった。その後、水野氏、深溝松平氏、久松氏、稲垣氏、阿部氏、本多氏、三浦氏、土井氏と続いて明治を迎えた。

大手門跡の碑

北端の堀
かりやじょう