日野江城
別名 火ノ江城
所在地 長崎県南島原市北有馬町戊
遺構等 曲輪、石垣、碑、説明板
現状 山林
築城年 建保年間(1213-19)
築城者 有馬連澄
歴代城主 有馬
形式 山城(比30m)
訪城日 2007/11/26
搦手口の地図
大手口の地図
【道案内】
城跡の地図

本丸
【感想・メモ】
遺構を破壊して桜の木を植えたというニュースを聞いていたので、整備されたお城を想像していました。ところが行ってみたら草ボーボーか、発掘調査中なのか?調査後、放置したままなのか?ビニールシートが被っているかのどちらかでびっくりしました。このお城の見所は、本丸北側にある曲輪。ここに石垣が残っています。他にも、藪の中を良く見ると石垣が少し見えました。
【歴史】
肥前西部最大の戦国大名であった有馬氏の居城である。同氏については藤原純友末孫説もあるが、実は肥前高来郡有馬庄を本貫とする豪族である。日野江城は建保年間(1213-19)有馬連澄が築城したとの説もあるが、南北朝期に築城されたとも考えられる。城下には有馬氏とその家臣たちの居館が設けられた。第13代城主・有馬晴信はキリシタン大名として有名で、天正8年(1580)には城の麓にセミナリヨが建てられた。しかし、岡本大八事件により有馬晴信は改易となった。元和2年(1616)、有馬氏に代わって松倉重政が日野江城に入ったが、新たに島原城を築城したため日野江城は廃城となった。島原城築城時に日野江城の建築物や石垣のほとんどを運んで使用した。
ひのえじょう
島原鉄道「北有馬駅」から北へ約1km。城の東側道路沿い(川沿いの道)に説明板が設置された駐車場があり、ここから登ります(大手)。または、北有馬総合支所から県道30号で東へ1本目の路地を北へ入り(道路に案内有)、かなり細い道ですが500m程北上して右折し、城跡まで500mの案内から更に山道を上がって行くと道路終点が城跡直下で駐車可能です(搦手)。
TOPページへ