腰越城
城跡の地図
登城口の地図
【道案内】
【歴史】

遠景&県道からの入口

石列
JR八高線、東武東上線「小川町駅」から西南へ約3km。大河小学校から県道11号で1.2km程西南へ進んだ右手の山が城跡です。県道11号の一本南通り沿いに「総合福祉センターパトリア」があり、この北側に広い駐車場があります。車はここに停め、駐車場西北から出て、県道11号を左手(西)に進むとすぐ右手に城跡入口の表示があるのでそれに従います。
安戸を本拠地とし松山城主上田氏の家老として仕え、永禄5年(1562)に荒川沿いの赤浜の合戦で討死した山田伊賀守直定の居城と伝えられる。腰越城から青山城、その先の小倉城菅谷館青鳥城等を経由して松山城へ繋がるネットワークが形成されたとも考えられる。上田氏の出自は不明だが、応永22年(1416)上杉禅秀の乱前後には既に当地方に進出し、扇谷上杉氏の重臣として文明8年(1476)からの長尾景春の乱などで活躍した。後北条氏の勢力が及んだ天文15年(1546)頃にはその配下となり、上杉輝虎(謙信)勢との攻防の末に松山城主としての地位を固めた。天正18年(1590)小田原の役で豊臣秀吉の重臣前田利家に攻められ、松山城と共に腰越城も落城し廃されたと思われる。また、麓の集落に「根古屋」の地名が残る。(現地説明板参照)

別名 根古屋城
所在地 埼玉県小川町腰越字木落・根古屋
遺構等 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年 天文年間(1532-55)
築城者 山田伊賀守直定
歴代城主 山田氏
形式 山城(比100m)
県道の城跡入口から主郭まで約15分
訪城日 2009/1 感想
【感想・メモ】
登城道は整備され、案内表示も行き届いていてとても見やすく分かりやすいです。主郭からの眺望も良く、堀や土塁等の遺構も見応えあります。石積みも随所に見られ、石が一列に置かれた石列もありました(右図の「横堀・土塁」の下方)。主郭へと入り組んだ通路や囮虎口など縄張的にも面白く、とても楽しめるお城です。
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こしごえじょう

主郭北下の二重堀切