菅谷館 |
まずは隣の県立博物館へ入り、パンフ類などを調達。それから館へと。広大な上、高い土塁。ス・スゴイ!まさに、これが土塁であると言わんばかりのお手本のよう。しかも、水堀も残っている。空堀は草で覆われていたものの、それでも深さを実感できたので、草がなければもっとすごいに違いない!ここには、畠山重忠公の像もあり、ついつい、一緒に写真を撮っちゃういました。 |
別名 | 重忠館 | ||
所在地 | 埼玉県嵐山町菅谷字城 | ||
遺構等 | 曲輪、空堀、水堀、土塁、碑、説明板 | ||
現状 | 公園 | ||
築城年 | 鎌倉時代 | ||
築城者 | 畠山重忠 | ||
歴代城主 | 畠山 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2003/7/13 | 感想 | ☆ |
すがややかた |
案内図(現地説明板より) |
東武東上線「武蔵嵐山駅」から南へ約1km。「嵐山史跡の博物館」のすぐ南が館跡として整備されています。博物館と共通の無料駐車場が完備されています。 |
鎌倉時代、畠山重忠が築城した。畠山氏は、秩父氏の一族で、重忠の父・秩父重能が大里郡川本村畠山に居館を構え畠山を称した。重忠は、保元・平治の乱以後、平清盛に仕えたが、源頼朝挙兵後は頼朝に仕えた。頼朝死後の元久2年(1205)、鎌倉幕府の実権を握った執権北条氏によって謀殺された。長享元年(1487)、太田道灌の子・資康が居城したといわれる。 |