青鳥城 |
東武東上線「森林公園駅」から南へ約1.5km。関越自動車道「東松山インター」から国道254号で400m程西進して関越道をくぐり、更に400m程西進した「きじやま」信号を右折します。150m程北上した左手が城跡です。 |
築城に関しては、『源平盛衰記』に源頼朝が武州月田川のはた青鳥野に陣をとる(寿永2年(1183))とあることから、主郭のみ12世紀末(平安末期)には築かれていたとの説や、室町時代に石橋城主芹沢修理大夫が築城した等、諸説あります。『妙昌寺縁起』には建武元年(1334)青鳥城主藤原斎心入道利行がみえ、戦国期には松山城の支城として後北条氏の支配下にあった。その後北条時代には山田伊賀守直安が在城したと伝えられる。天正18年(1590)小田原の役の際に前田利家の軍に落城し、16世紀末に廃城となった。城跡は東松山台地の南縁部に立地し、都幾川の河岸段丘を南に見下ろす所に位置する。(現地説明板、『日本城郭大系』新人物往来社発行、『歴史ロマン 埼玉の城址30選』西野博道編著 参照) |
板石塔婆
別名 | 石橋城 | ||
所在地 | 埼玉県東松山市石橋字城山 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板 | ||
現状 | 畑、宅地、道路 | ||
築城年 | 室町時代? | ||
築城者 | 芹沢修理大夫? | ||
歴代城主 | 藤原氏、山田氏 | ||
形式 | 丘城 | ||
訪城日 | 2009/2 | 感想 | ○ |
主郭
城跡の東側には関越道、南側には国道のバイパスが通ったため、遺構が壊されていますが、主郭は南側以外は良好に残っています。主郭は畑地になっていたり、神社が祭ってありますが、土塁が取り巻いていて、その外側に横堀があります。また、国道沿いにも横堀跡があります。もともとこの主郭のみのお城(館)だったのを後に拡張したようで、主郭の外側が二郭となり、主郭の北西側に板石塔婆があります。この背後には二郭の土塁があります。他にも周辺を歩くと堀跡が分かるのですが、ホテルが建っているので変な人と間違われないように注意が必要です。 |
おおどりじょう |