石戸城
城跡の地図
【道案内】
【歴史】
北本自然観察公園の西端が城跡です。公園西側に無料駐車場が完備されています。
長禄年間(1457-60)頃、岩付松山河越の各城との連絡のために扇谷上杉氏の家臣藤田八右衛門の居城として築かれたと伝えられる。大永5年(1525)北条氏綱が太田資頼の岩槻城を陥落させると、資頼は石戸城に逃れてきた。『関八州古戦録』によると、永禄5年(1562)、北条氏邦は北条氏政の命により秩父鉢形勢を率いて上杉方のこの城を攻めたが、時の城主毛利丹後守の守りは固く、北条勢は多くの死傷者を出した。援軍に越後の上杉謙信が来ると聞いた氏邦は、暗夜に乗じて城の東側の沼地に一夜にして土橋を築き、一気に城へ攻めあがって勝利したと言う。これを「一夜堤」と呼ぶ。永禄6年(1563)松山攻めの際、上杉謙信が石戸まで進入するなど、松山城が上杉氏・太田氏・北条氏との間で争奪戦を繰り広げる中、石戸城は太田氏にとって重要な向城であった。落城後は、北条氏の家臣依田大膳亮が城主としてとどまった。(『埼玉の古城址』中田正光著、『歴史ロマン埼玉の城址30選』西の博道編著、『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照)
城跡は道路で分断されていて、トイレがある道路西側の西には土塁?と思えるものがあります。道路東側の郭は藪ですが土塁があり、その東側の通路は堀切と思われます。また、沼を左手に歩いていくと、沼と沼の間に一夜堤があります。堤上に説明板がありますが、この説明板がなかったら城跡とはちょっと分かりにくい所です。

【感想・メモ】
別名 天神山城
所在地 埼玉県北本市石戸宿6丁目
遺構等 曲輪、土塁、堀切、説明板
現状 北本自然観察公園
築城年 長禄年間(1457-60)
築城者 藤田八右衛門
歴代城主 藤田氏、毛利氏、依田氏
形式 平城
訪城日 2010/5 感想

いしどじょう
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