城跡の地図
長禄元年(1457)、扇谷上杉氏が古河公方足利氏の勢力に対抗するため、上杉持朝が家老太田道真・道灌父子に命じ築かせた。以後、上杉氏が6代約80年在城したが、川越夜戦で北条氏に滅ぼされた。小田原を本拠とした北条氏は次第に勢力を伸ばし、天文6年(1537)川越城を奪ったが、天文15年、これを奪還しようとした山内・扇谷両上杉氏および古河公方方の連合軍8万と、川越城救援の北条軍8千が戦い、北条軍は連合軍を壊滅した。天正18年(1590)秀吉の小田原征伐で北条氏が滅亡すると、徳川家康が関東に入り、川越城には酒井重忠が入城した。酒井氏3代の後、寛永12年(1635)堀田正盛が入封したが、寛永15年に川越で大火があり、翌年に入封した松平(大河内)信綱は城を大改築した。松平氏3代の後、柳沢吉保・秋元氏4代・松平(結城)7代と続き、慶応3年(1867)松平(松井)康英が8万石で入封し、明治を迎えた。
川越城
別名 初雁城
所在地 埼玉県川越市郭町
遺構等 本丸御殿、堀、土塁、櫓台、碑、説明板
現状
築城年 長禄元(1457)
築城者 太田道真、道灌
歴代城主 太田、扇谷上杉、北条、酒井、堀田、柳沢、秋元、松平
形式 平城
訪城日 2007/9/8 感想

土塁

城址碑と説明板


本丸御殿は中を見学できます。また、本丸御殿北側に「本丸門跡」の碑があるなど、石碑が点在しています。本丸御殿から200m程南下して右折し、150m程西進すると、道路右手に「富士見櫓」があります(川越高校の東)。富士見櫓の前には「田曲輪門跡」の石碑があり、富士見櫓へ上がると城址碑があります。櫓の裏手は神社でした。本丸御殿の前(東)にある三芳野神社は、童謡「通りゃんせ」発祥の地となっており、この神社に土塁が残っています。川越は、「蔵の町」で有名なので、蔵の町並みや時の鐘なども見ていくのをオススメします。
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かわごえじょう
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川越市役所の南の通りを600m程東進すると、左手に「市立歴史博物館」がありますが、ここを右折します。150m程南下すると右手に本丸御殿が見えます。この付近一帯が城跡です。周辺に有料駐車場があります。

富士見櫓

本丸御殿