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別名 |
中入城 |
所在地 |
長野県松本市入山辺中入 |
遺構等 |
石垣、土塁、堀切、竪堀、空堀、虎口、土橋、説明板 |
現状 |
山林 |
築城年 |
鎌倉時代末期 |
築城者 |
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歴代城主 |
山家 |
形式 |
山城(比250m、標1056m) |
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訪城日 |
2004/5/29 |
感想 |
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徳運寺が居館跡でお寺から登城道があります。お寺に参拝者用無料駐車場が完備されています。 |
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【感想・メモ】 |
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以前登城口にしていた水道施設(貯水槽)前からの登山道は倒木が酷く登れなくなったため、お寺から登ると良いようです。このお城は段郭と堀切の連続。曲輪と曲輪の間を土橋が結んでいるのが明瞭に分かり楽しいお城です。主郭の外側には石垣もあり、主郭内部は土塁が巡っていて、小笠原氏を祀る祠があります。主郭から北東部の曲輪の秋葉神社へと土橋を越え、竪堀を堪能して到着!更に東の曲輪へと堀切を越えていくと、その奥(東)にも、北側にも曲輪が続いてありました。 |
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【歴史】 |
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鎌倉時代末期に築城されたといわれ、室町時代は山家氏が領していたが、小笠原氏が信濃守護として入部した際、配下となった。小笠原氏本城の林城の支城となってから大改修がなされ、山辺谷最深部、松本平東側の上田、佐久方面の出入口の要害としての役割を果たした。信玄の侵攻により林城と共に落城した。 |
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