城跡の地図
林大城
別名
所在地 松本市里山辺
遺構等 石垣、土塁、堀切、竪堀、空堀、
虎口、土橋、説明板
現状 山林
築城年 鎌倉時代末期
築城者 小笠原氏
歴代城主 小笠原
形式 山城
訪城日 2004/5/28
【道案内】

【感想・メモ】
はやしおおじょう
【歴史】
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県道67号「兎川寺」信号から500m程東進した「上金井」バス停を過ぎた路地を右折し、600m程南下して薄川を「八竜橋」で渡り、突き当りを左折して道なりに行くと、途中から山を上る林道となり「東城山公園」に着きます(林城の案内板が道路に有り)。ここが城跡で、駐車スペースがあります。
主郭の手前に説明板があり、そこから土塁が見えます。車で上がったので楽々で空堀や堀切が見られ、曲輪の中は土塁が巡っており、堀切・竪堀などが見られ、ご満悦。帰りは遊歩道を下っていきました。さすがにここまで整備されていたら迷子になんてなりません。段郭に堀切が見られるものの、草木が多くてハッキリ見えない所も多く残念でした。
南北朝争乱時に功績を挙げた小笠原氏は信濃守護となり、井川館、林城を本拠として筑摩、安曇、伊那地方を中心に勢力を誇った。その間、小笠原氏は平地の城館である井川城と山城の林城を本拠地として、四周に順次山城群を配置して強固な防衛戦を備えた。林城は谷を挟んで林大城と林小城とに分かれ、更にその周りには本城を囲むように支城が設けられており松本平一帯は小笠原氏の要塞群となっていた。しかし天文17年(1548)塩尻峠の戦いで敗戦の後、天文19年、武田軍の猛攻に自落し、武田氏に破却され廃城となった。