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別名 |
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所在地 |
長野県茅野市ちの |
遺構等 |
曲輪、土塁、堀切、竪堀、碑、説明板 |
現状 |
山林 |
築城年 |
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築城者 |
諏訪氏 |
歴代城主 |
諏訪氏 |
形式 |
山城(比180m、標978m)城 |
登城時間 |
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国道20号「上原頼岳寺」信号を東へ入り、JRをくぐって200m程進んで右折します。50m程行った1本目路地を左折し(上原城の案内有)、この先は案内に従うと山の中腹・道路左手に城があります。城跡入口の説明板付近に駐車スペースがあります。
【感想・メモ】
説明板や碑がある所からすぐ左手に竪堀が見え、中へ入っていくと右手に堀切が2本あり、左手には竪堀が落ちています。三の郭には金毘羅神社があり、鳥居の横に城址碑がありました。そこから上に行くと二の郭で、ここには大きな物見岩があります。主郭切岸前には説明板が有り、主郭は土塁がないただの平坦地となっていました。ほとんど登らず、お手軽に立派な堀が見られ、整備状況も良く、楽しめるお城です。
【歴史】
上原城跡は諏訪盆地を一望する金毘羅山頂(標高978m)にあり、中腹の板垣平(およそ1ha)には居館跡がある。北は永明寺山を背に、北西に桑原城、東に鬼場城等をひかえ、前方南には上川や宮川を隔てて干沢城に対し、諏訪上社(本宮前宮)を見下ろした中世の典型的な山城である。築城年代は詳らかではないが、室町時代の後期、文正元年(1466)頃より、諏訪惣領家当主信満がこの城の中腹に館を構え、上原郷に城下町を作った。その後、諏訪氏は信満−政満−頼満−頼隆−頼重の5代70余年に渡り諏訪地方を統治したが、天文11年(1542)7月、甲斐の武田晴信(信玄)によって滅ぼされ、惣領家諏訪氏は滅亡した。三の郭にある金毘羅神社は、頼岳寺18世尊応が文化2年(1805)に頼岳寺の鎮守神として、四国の讃岐より金毘羅大権現を勧請してこの地に祀ったものである。(現地説明板より)
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