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岐阜県のお城 にしのほきたかたじょう
西保北方城
別名 西保城
所在地 岐阜県神戸町西保
遺構等
現状 宅地
築城年
築城者 不破左衛門道広
歴代城主 不破、稲葉、木村
形式 平城
訪城日 2020/3/21 感想
【道案内】 城跡の地図
県道217号で近鉄養老線から500m程西進して右折します。300m程西進した突当りに城址碑があります。
【感想・メモ】
西保集落の中心に城跡はあり、民家脇(電柱の横)に城址碑がありました。周囲の少し低い田んぼが堀跡とのことですが、あまりよく分かりませんでした。
【歴史】
不破郡府中城に居た、不破左衛門道広が西保に移って築城した。その孫・光治は、初め土岐頼芸に仕えたが、土岐氏没落後、斎藤氏に仕えた。その後、織田信長に従い、越前の一揆を平定した。その功によって越前龍門寺を与えられたが、嫡子・彦三全忠に譲り、西保に帰って安土城の城代になった。西保城は次男・彦三郎が継ぐも、本能寺の変で信忠と共に討死し、次に妹婿の稲葉右近大夫方通(一鉄の子)が継いだ。しかし方通も加茂郡和知に移ったため、天正末年から木村宗左衛門重広が城主となった。重広は関ヶ原の戦いで西軍に属し、その子・伝蔵と共に大垣城で戦死した。以後、西保城は廃城となった。
参考資料
岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第1集(西濃地区・本巣郡)/岐阜県教育委員会
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