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岐阜県のお城 なしうちじょう
梨打城
別名
所在地 岐阜県高山市国府町八日町
遺構等 山林
現状 曲輪、土塁、堀切、竪堀、碑
築城年
築城者 江馬氏
歴代城主 江馬
形式 山城(比230m、標740m)
登城口から主郭まで約30分
訪城日 2005/11/5
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
城の南南東麓にある「菅原神社」本殿に向かって左側(西)にある観音堂の裏側に回った左手に登城道があります。神社へ行く道が狭いので、県道473号で荒城川を北へ渡って50m程北上した3本目路地を右折した左手にある八日町公民館に駐車させて頂きました。
【感想・メモ】
菅原神社の鳥居の脇に城址碑があります。尾根道を30分程登ると城跡に辿り着きます。そこは主郭南の郭ではっきりした虎口に郭内には土塁が巡っています。主郭の東側の郭にも土塁が巡り、その東側の堀が途中で折れ曲がっていて少し変わっていました。主郭西側にも郭があり、堀切が見られます。全体に郭の削平は甘いものの、周囲の作りが面白いというか珍しく、なかなか楽しめるお城です。
【歴史】
高原諏訪城主・江馬常陸介輝盛の城といわれており、北飛騨の江馬氏が南方を固めるために築いた出城ではないかとされている。天正10年(1582)、織田信長が本能寺の変で没すると、北飛騨の江馬輝盛と南飛騨の三木自綱が、梨打城下の八日町で荒城川を挟んで戦った。この戦いで江馬氏は滅亡した。、梨打城と高原諏訪城は小島時光に落とされた江馬氏は滅亡し、梨打城は落城し、廃城となった。
参考資料
岐阜県中世城館跡総合調査報告書

菅原神社と城址碑

虎口と土塁
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