広島県のお城 きっかわもとはるやかた
吉川元春館
別名 御土居、元春公下屋敷、海応寺本館
所在地 北広島町(豊平町)志路原字海応寺
遺構等 復元屋敷・庭園、石垣、土塁、空堀、礎石、碑、説明板
現状 公園
築城年 天正10(1582)
築城者 吉川元春
歴代城主 吉川
形式 居館
登城時間
門跡
訪城日 2012/4/29 感想
【道案内】 城跡の地図
国道261号「蔵迫中央」信号を西へと国道433号へ入り4km程西進すると道路に館の案内が出ます。そこを左折して川を渡ってすぐが館跡で、無料駐車場が完備されています。
【感想・メモ】
居館の東正面に石碑があり、そこから入ると正面に石垣が見えます。北側には石切の跡もあります。館内はとても広く整備されており、土塁や台所などが復元され、建物礎石や庭園遺構もあり、見応えがある上、芝が映えて気持ちいいです。館の南側には立派な空堀もあり、西側には元春・元長のお墓もあります。また川を挟んだ対岸の北西には元春の妻が日野山城から元春館へ移るまでの間住んでいたといわれる松本屋敷(姫屋敷)があり、石垣が残っています。
【歴史】
駿河国を本拠としていた吉川氏は、鎌倉時代末期に大朝本庄に地頭として入り、室町時代には安芸国の北部を中心に治める国人領主に成長した。戦国時代には、周防国の大内氏と出雲国の尼子氏との間に立たされたが、毛利元就の次男・元春を養子として迎え当主とし、毛利体制に入った。元春は、天正10年(1582)、本城である日野山城の西南麓に隠居所として築いた館がこの居館で、元春とその子・元長の死後、当主となった元春三男広家が、天正19年、出雲国富田城へ移ったため館の機能は失われ、元春の菩提寺として建てられた海応寺の寺領となった。関ヶ原合戦後、吉川氏は岩国へ移った。
参考資料
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』広島県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行
石切場 復元台所 庭園 吉川元春・元長の墓
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