【道案内】 |
城跡の地図 |
登城口1の地図 |
登城口2の地図 |
登城口3の地図 |
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JR東北本線「桑折駅」から西へ約700m。城の南側にある観音寺から約150m西進した通り沿いに入口の案内があり、集落を過ぎると未舗装になりますが大手門経由で本丸まで車で行けます(登城口1)。また、城の北側にある「うぶかの郷」西側から南下し、二の丸の西側空堀経由で城内へ(登城口2)、城の西側から西館・中館北側を通って城内へ(登城口3)入るルートもあります。城内に駐車場は無いですが、本丸や大手門付近など駐車可能スペースがあります。ただし、道が狭く、急な坂道もあるので不安な方は南麓の観音寺かその南にある坂町公民館に駐車して歩いて登ると良いでしょう。 |
【感想・メモ】 |
私は登城口1から本丸まで車で行ったり、観音寺から歩いて登ったりしました。お寺の墓地から本堂背後を回りこむように道があり、登るとすぐにダートの車道に合流します。ここから5分程登ると立派な土塁が見え、大手門跡となります。それを過ぎて右手の一段高い曲輪が砲台場跡で、土塁がしっかり残っています。ここに縄張図付きの説明板があるので、車で訪れる場合も先に砲台を見学すると良いでしょう。本丸にはパンフが置いてあり、西側の二ノ丸との間に空堀があります。中館南東、西館南には桝形虎口もあり、いずれも館内は土塁がしっかり巡り、間の空堀や北側の空堀も見応えがあります。ただし、西館土塁にある石塁は畑にする際積まれたそうです。また、桑折寺(住所:桑折町新町32)には搦手門の唐門が移築されています。 |
【歴史】 |
文治5年(1189)源頼朝の奥州藤原氏征伐の戦功により伊達郡を賜った伊達氏の始祖朝宗が築城し、以後伊達氏が居城した。天文元年(1532)伊達稙宗は居城を梁川城から西山城に移し城を改修した。天文11年、稙宗の三男・伊達実元の越後上杉氏への入嗣問題を巡り、稙宗の嫡男・晴宗が稙宗を西山城へ幽閉した。この事件を契機に伊達氏は稙宗方と晴宗方に分かれ内紛状態となり、更に南東北の諸大名をも巻き込んだ(洞の乱)。この内乱は約7年続き、西山城で何度も両軍の攻防戦が展開された。天文17年、将軍足利義輝の命によって両軍は和睦し、晴宗が伊達氏家督を継ぎ、稙宗は丸森城に隠居した。その後、晴宗は米沢城を築いて移ったため、西山城は廃城となった。(現地説明板参照) |