城跡の地図
湊城
築城年代は不明だが湊安東氏が居城とした。安東氏は安倍氏の子孫を称し、十三湊を本拠に鎌倉時代は代官として津軽を領した。応永元年(1394)安東盛季の命で弟鹿季が秋田の湊を討ち取り移り住んだが(湊安東氏)、嘉吉3年(1443)南部義政に追われ北海道に逃れた。政季の代に南部勢を破り、政季の子忠季が明応4年(1495)檜山城を築いた(檜山安東氏)。天文20年(1552)湊安東堯季死後、湊安東氏の血筋が絶えたため、檜山安東愛季の弟茂季が跡を継ぎ、天正7年(1579)頃、茂季が病死して高季が継いだが、幼少だったため愛季が事実上両安東氏を支配した。天正15年、愛季が脇本城で死去すると12歳の子実季が継いだが、湊安東高季が謀反を起こし県南の戸沢・小野寺氏を味方に檜山安東氏と湊安東氏で争いが起こった(湊騒動)。実季は由利の赤尾津、羽川氏の援助も得て湊城を落とし、居城とした。高季は戸沢氏の元へ逃げ、後に南部氏の臣になった。慶長7年(1602)、実季は常陸国宍戸に移封となり、代わりに常陸から佐竹義宣が入部したが久保田城を築いて移ったため湊城は廃城となった。

(『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照)
【歴史】
遺構は何もありませんが、神社入口にお城の標柱があり、神社南側に安東氏の顕彰碑があります。
【感想・メモ】

JR奥羽本線「土崎駅」から南西へ約200mにある土崎神明社が城跡で、神社に参拝者用駐車場があります。
別名
所在地 秋田県秋田市土崎港中央3-9-37
遺構等
現状 土崎神明社
築城年
築城者 安東鹿季
歴代城主 湊安東氏
形式 平城
訪城日 2010/7 感想
【道案内】

みなとじょう
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