館跡群から内館を望む
JR男鹿線「脇本駅」から南西へ約1.8km。県道59号「生鼻崎第二トンネル」を東に抜けて1つ目の信号を左折します(案内は信号より西にあるので、特に東から来た場合は要注意!必ず信号を曲がること)。坂道を上がっていくと山の中腹に駐車場があります。 |
脇本城 |
築城年代は不明だが、出土品等から15世紀には城として機能していたと考えられる。天正5年(1577)頃、安東愛季が城を大改修して居城を檜山城から脇本城へ移した。元亀元年(1570)愛季は秋田湊城を統合して小鹿島をも直轄地とし、蝦夷管轄も担っていた。天正15年、愛季は病死し、天正17年に勃発した湊合戦では愛季の子実季は檜山城へ逃れた。廃城時期も不明だが、天正18年の豊臣秀吉による奥州仕置か、慶長7年(1602)佐竹義宣の秋田移封時と考えられている。 (現地説明板、現地パンフレット 参照) |
内館西方を望む
館跡群
草刈をした直後に訪れたため、見やすかったです。駐車場から2〜3分も登れば左が館跡群、右が内館となり、どこも全体が見渡せて気持ちよいです。内館の中央に大空堀があり、東端の郭には大土塁が、西方の郭には井戸があります。ただ、全体にダラダラとした地形で鋭さがなく、城というより畑かゴルフ場に居るような気分です。しかも、木がほとんどないため日陰もなく、直射日光を浴びっぱなしで、夏場は熱射病に注意が必要です。馬乗り場までは西端の郭から10分程かかります。枡形や土塁があるようなのですが、あまりに藪が酷く、確認不可能な状態でした。 |
別名 | |||
所在地 | 秋田県男鹿市脇本脇本七沢 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、井戸、碑、説明板 | ||
現状 | 城址公園 | ||
築城年 | 天正5年(1577)頃 | ||
築城者 | 安東愛季 | ||
歴代城主 | 安東氏 | ||
形式 | 山城(比95m、Pから比40m) 駐車場から内館まで約5分 |
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訪城日 | 2010/7 | 感想 | ◎ |
わきもとじょう |