秋田県のお城 ひやまじょう
檜山城
別名 霧山城
所在地 秋田県能代市檜山字古城
遺構等 曲輪、土塁、堀切、枡形虎口、碑、説明板
現状 城址公園、山林
築城年 14世紀中頃
築城者 安東兼季
歴代城主 檜山安東氏
形式 山城(比100m、標145m)
登城時間 ニ郭下まで車で行けます
桝形虎口
訪城日 2017/4/30 感想
【道案内】 城跡の地図
崇徳小学校の南東約2km。崇徳小学校から県道4号で1km程南下して左折し、300m程東進すると道が左カーブしますが、ここを鋭角に右折が「多宝院」、その上にある右折の道を上がっていくと主郭と二郭の間まで車で行けますが、駐車スペースがあるのは二郭下付近です。
【感想・メモ】
馬蹄形の縄張で城域の広いお城です。車で上がる道すがら左手に連続堀切が見えます。これは三郭から西に続く尾根を遮断していて、三郭西には櫓台があり、郭内に説明板があります。この南の二郭は公園になっており、二郭の東は主郭です。主郭の南を通って東へ進むと枡形虎口があり、すぐ東が堀切で、この先が凸凹した不思議な地形になっています。この東が将軍山で、南東に堀切が2本あります(2本目が立派)。将軍山の北は広い屋敷跡で西側に土塁があり、この北の館神堂跡はすり鉢状になっていて面白いです。この北から西へのびる尾根に北郭があり、手前に堀切が、先端方向には堀切と竪堀があります。主郭南にも郭があり、主郭南部から西尾根や、二郭の西尾根にも立派な堀切があります。また、北西麓の浄明寺には移築門があります(住所:能代市檜山檜山町40)。
【歴史】
14世紀中頃に安東兼季が築城し、明応4年(1495)檜山安東氏の居城となった。安東氏は青森県十三湊に起こり、室町時代に安東氏は湊と檜山に分かれたが、元亀・天正年間(1570-92)安東愛季・子実季が織田信長・豊臣秀吉の知遇を得て戦国大名へと成長し、愛季の時、両家を併せた。天正15年(1587)愛季が死去すると実季が継いだが、領内では独立する動きが出て内紛が勃発した。天正17年、伯父の豊島道季が謀反を起こしたのをきっかけに、湊高季、仙北の戸沢氏が同調した(湊騒動)。実季は苦戦するも、由利の赤尾津氏・羽川氏の応援を得て一族の争いを鎮圧し、居城を檜山城から土崎湊城に移し、秋田城介を名乗った。文禄3年(1594)の検地では7万石に近い知行を安堵されている。慶長7年(1602)、佐竹氏の秋田入部により佐竹方の小場義成が居城し、慶長15年には白岩城の多賀谷氏が居城したが、元和6年(1620)一国一城令に伴い廃城となった。
参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板

桝形虎口背後の空堀 将軍山後方の大堀切 館神堂跡 北郭手前の堀切
三郭(西端は隅櫓)
移築門(浄明寺)
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