滝堺城
【感想・メモ】
中へ入っていくと、すぐに堀切が見られます。縄張りは単純で、そこから南東に向って、三の丸・二の丸・本丸と続きますが一面茶畑です。更に本丸の先端へと藪の中へ入るとこちらにも堀切が見られます。また、ここから見る駿河湾が綺麗です。
【道案内】
城跡の地図
国道150号「片浜」信号で道が二手に分かれますが、国道から外れる北西へ入り少し北上すると左手に「滝境城跡」の看板があります。そこを左折(西)すると若宮八幡宮があり(ここから道が狭いので、私は歩きました)、この八幡宮の前に「田沼街道」が通っています。この街道の案内の方(八幡宮の北側)へ少し行くと、道が二手に分かれるので、そこから田沼街道を外れ左手の道を進むと、山を登る林道となります。この林道を登ると「城跡案内」の古びた看板があり、そこを左に入ると城跡です。
【歴史】
元亀2年(1571)、武田信玄が遠江侵攻の拠点として、小山城築城後、この滝堺城を築いた。信玄の後を継いだ武田勝頼は、滝堺城を後方の支援拠点として高天神城を天正2年(1574)に攻め、落城させた。長篠の合戦で武田軍の敗北後、徳川家康が高天神城を奪還し、徳川が遠江を制圧した際、滝堺城も徳川が支配したが、使用されずに廃城となった。
TOPページへ
別名 滝境城
所在地 静岡県牧之原市(相良町)片浜
遺構等 曲輪、土塁、堀切、説明板
現状 茶畑、山林
築城年 元亀2(1571)
築城者 武田信玄
歴代城主 武田
形式 山城(比65m、標70m)
訪城日 2009/1 感想
たきさかいじょう