馬伏塚城
【道案内】
城跡の地図
県道41号「浅名北」信号を東へ入り、1つ目の信号を越えて300m程行った路地を右手に入ると諏訪神社があり、ここが城跡です。
別名 爬塚城
所在地 袋井市浅名1156
遺構等 土塁、碑、説明板
現状 諏訪神社、宅地、田
築城年 室町中期
築城者 小笠原長高
歴代城主 小笠原、大須賀
形式 平城
訪城日 2004/1/10


【感想・メモ】
まむしづかじょう
【歴史】
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神社へと入っていく前の道に、説明板があり、復元図なども載っています。諏訪神社の入口階段に城跡碑もあり、良い所だっちゃ。神社の境内には土塁が残っていて、一段高くなった櫓台跡と思われる所もあり、なかなかいい感じ!神社から南の田んぼの方から城跡を見ると、少し高台になっているのが分かり、田んぼの角っちょに「馬伏塚城址」と書かれた立て札みたいなものもあって、本当に親切だぁ♪逆に神社から北へと歩いて民家の方へ行くと、こっちにも高い土塁が残っていて、「土塁」の表示もしてあります。でも、すっごい藪で「土塁」の表示が無いと写真では何が何だか分かんないよーそこから東へすぐの了教寺が小笠氏清の菩提寺で、小笠原氏の説明板があります。この小笠原氏の末裔が後に小笠原列島を発見したんですよねぇ。
室町中期、小笠原長高が築城した。文亀元年(1501)、遠江国守護であった斯波氏と駿河国守護であった今川氏が遠江国の支配を巡り覇権争いを繰り広げた。今川氏が滅亡すると、小笠原氏は徳川家康に属した。天正2年(1574)、南遠地方の要であった高天神城が落城し武田勝頼が支配すると、家康は馬伏塚城を高天神城攻略の基点とし、城を大改修した。家康の重臣・大須賀康高を城主とし、天正9年(1581)、高天神城が落城するまで、横須賀城と共に重要な拠点だった。しかし、天正10年、徳川家康による遠江支配が安定してからはその役割を終え廃城となった。