江尻城 |
別名 | 小芝城、於芝城 |
所在地 | 静岡市清水区江尻町 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | 清水江尻小学校 |
築城年 | 永禄12(1569) |
築城者 | 武田信玄 |
歴代城主 | 武田 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2006/1/7 |
えじりじょう |
JR東海道本線「清水駅」から西へ約800m。清水駅前を走る国道1号を500m程東進し、「大手町」信号を左折します。150m程南下した1本目の信号「宝町」を右折し、150m程西進した2本目の路地を左折します。すると左手に「清水江尻小学校」があります。この小学校一帯が城跡です。 |
今では、学校の駐車場の横(北側隅)に城址碑と説明板があるのみで、他には何もありません。 |
永禄11年(1568)、武田信玄が駿河に侵攻し、今川氏真を遠江掛川に追いやって、徳川家康と対峙することになった。相模の北条氏が徳川氏と組み、挟撃するため薩た山に陣をおいた。信玄は、補給基地と補給路の確保のため、翌永禄12年、江尻城を築城した。その後、元亀元年(1570)、山県昌景が入城した。天正3年(1575)、長篠・設楽原の戦いで昌景が戦死し、天正6年、穴山梅雪が入城して城を大改修した。しかし、遠江高天神城が徳川軍の攻撃により落城すると、武田氏の駿遠二国における勢力は衰退していった。天正10年3月、徳川家康が梅雪に降伏勧告をし、梅雪が受け入れて江尻城を開城した。その後、慶長6年(1601)駿府城 に内藤信成が入った際、江尻城の役目は終わり、廃城となった。 |