香川県のお城 かつがじょう
勝賀城
別名
所在地 香川県高松市鬼無町是竹
遺構等 曲輪、土塁、虎口、横堀、堀切、石垣、碑、説明板
現状 山林
築城年 承久年間(1219-1222)
築城者 香西資村
歴代城主 香西氏
形式 山城(Pから比175m、標364m)
登城時間 登城口から主郭まで約20分
主郭土塁(東の喰違い虎口付近)
訪城日 2014/1/3 感想
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
県道33号「佐料」バス停そばの信号(勝賀城登山口案内有)から約900m西進(途中、佐料城の前を通る)した香川誠陵高校北方の交差点に城の説明板があり、更に上へと西進すると登城口で、車2台駐車可。道の要所に案内が有ります。
登城口
【感想・メモ】
登城道は整備され、広い主郭を取り巻く土塁に驚嘆します。東の喰違い虎口や南の虎口も明瞭で、何より綺麗に整備されていて気分爽快になります。主郭以外は結構藪ですが、通路は確保され、東端郭からの眺望が素晴らしく、三の丸東の堀切も確認できます。
【歴史】
三郭東の堀切
承久年間(1219-1222)、承久の乱で軍功のあった香西資村が築城したといわれ、以後、阿野・香川郡など中讃を本拠とした豪族香西氏が18代360余年にわたり本拠とした。山麓の佐料に居館を構え、広い山頂には土塁によって守られた本丸(東西40m、南北60m)を中心に、二の丸、三の丸を形成していた。長宗我部元親が四国平定へと阿波・讃岐へ軍勢を進めたため、18代・好(佳)清は磯崎山に本城として藤尾城を築いて移り、作山に副城として作山城を築き、海に臨む地に出城として芝山城を改修したが、天正10年(1582)開城した。天正13年には秀吉の四国征伐によって長宗我部氏が降伏し廃城となった。
【参考資料】
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板

主郭土塁(南虎口付近)
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