【道案内】 |
城跡の地図 |
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県道33号「佐料」バス停そばの信号(勝賀城登山口案内有)から約250m西進した右手奥の「奥津神社」一帯が城跡で、神社手前の佐料公会堂に駐車可。 |
神社入口と説明板 |
【感想・メモ】 |
神社への入口に城の説明板があり、神社が主郭だったようです。神社から50m程東進した最初の交差点を左折し、60m程北上して墓碑がある所で左手へ進むとL字形の水堀が残っています。また、この墓碑は『南海治乱記』、『南海通記』の著者、香西成資の父、植松吉兵衛時蔭のようです。 |
【歴史】 |
承久年間(1219-1222)、承久の乱で軍功のあった香西資村が勝賀山に詰城を築き、麓の佐料に平時の館を築いたといわれる。以後、笠居郷(鬼無・香西・下笠居)を本拠とした香西氏が代々居城としたが、天正5年(1577)18代好(佳)清が藤尾城を築いて移った。 |
【参考資料】 |
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板 |
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