【道案内】 |
城跡の地図 |
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琴電長尾線「林道駅」から南へ約400mの木太南小学校が城跡です。 |
【感想・メモ】 |
小学校南西隅の校門前に説明板があるのみで遺構はありませんが、この付近は若干微高地となっており、東から南へ流れる宮川が堀の役目を果たしていたようです。この川のすぐ東側(説明板がある所から東へ)に神内城と向城を指し示す石碑があります。 |
【歴史】 |
天文・天正年間(1532-1592)、西植田の神内城主・神内石見守廣忠の後裔神内右京進影之・清定父子が木太郷に進出し、この城を築いて移り住み、西植田で三百石、木太で七百石の計千石を領していたといわれる。城は約150m四方の規模だったようである。神内氏は植田氏の一族で、戦国時代には十河氏に属した。城は香西氏に属する向城から西へ僅か約350m、松縄城から東へ約1kmに位置する。天正12年(1584)、長宗我部軍の侵攻により十河城は落城し、清定は領地を失った。 |
【参考資料】 |
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |
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