【道案内】 |
城跡の地図 |
|
|
県道30号と県道10号が交差する「十川東町」信号から1km程南下して右折した、正面にある称念寺が城跡で、お寺に参拝者用無料駐車場があります。 |
【感想・メモ】 |
お寺が本丸だったようで、門前に碑と説明板があります。城は、西に池、東は断崖、南に大手があったようです。この100m程北に「十河歴史資料館」があります。 |
【歴史】 |
築城年は不明だが、南北朝時代から桃山時代まで約230年間にわたり十河氏の居城だった。十河氏は景行天皇の末流で山田郡を領した。8代十河景滋の子が早世したため、三好長慶の弟一存(かずまさ)が養子に入り、鬼十河と恐れられ、讃岐一円を支配した。その養子存保(まさやす)が継いだが、存保が勝瑞城に居た時に長宗我部軍に攻められ、城代十河存之が守ったが、存保が敗走すると存之も逃れた。後に秀吉から2万石に封ぜられ再び十河城主となったが、九州戸次川合戦で戦死し、廃城となった。 |
【参考資料】 |
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |
|