私は枡形山城から物見山経由で辛垣山城を訪れ、そのまま南尾根へ下山しました。直接、辛垣城へ行かれる場合は二俣尾駅から北東へ進み、長泉院の南を通って更に道なりに100m程進むと案内板が出ているので、それに従い名郷峠経由で行くか、案内板の40m程手前にある登っていく道を進むと南尾根経由となります。海禅寺も見学していくと良いでしょう。
【歴史】
青梅地方に勢力を誇った中世の豪族三田氏の城で、市内師岡に所在する勝沼城に対して「西城」と呼ばれた。永禄6年(1563)3月(または永禄4年の説あり)、八王子の滝山城主北条氏照の軍勢に攻められ落城し、城主三田綱秀は岩槻城へ落ち延びたが、同年10月その地で自害し三田一族は滅亡した。

参考資料
『資料青梅市の中世城館跡』青梅市教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『多摩丘陵の古城址』田中祥彦著
現地説明板
辛垣城
別名 西城
所在地 東京都青梅市二俣尾4丁目
遺構等 曲輪、土塁、堀切
現状 山林
築城年
築城者 三田氏
歴代城主 三田氏
形式 山城(比210m、標444m)
枡形山城から辛垣城主郭まで約30分
訪城日 2011/2 感想
枡形山城から尾根に出ると雷電山ハイキングコースとなり、5分強北西へ進んだピークが物見山です。この下が名郷峠で、更に2〜3分進むと辛垣城跡登り口と表示があります。ここが堀切で、その先に郭が2つあり、更に進むと露出した岩盤が見えてきます。もう少し進むと岩盤の虎口かと一瞬大喜びしたのですが、石灰石採掘によってできたようです。主郭も採掘によって削られ本来の様子はサッパリ分かりませんが、北西側の堀切はありました。西南尾根は付け根付近に竪堀?と思われるものがあり、そこから段郭が続くのですが、道ができていて改変されているようです。南尾根は少し下ると鉄塔がある横に火薬庫跡があり、その先に堀切があります。私はそのまま南尾根を下山し、海禅寺にある三田氏墓所も見学しました。主要部の遺構は破壊されてますが、枡形山城の詰の城といった感じです。
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南尾根の堀切

【感想・メモ】

主郭

【道案内】
登城口の地図
城跡の地図

からかいじょう