城跡の地図
滝山城
別名
所在地 八王子市丹木町2-3丁目
遺構等 曲輪、土塁、空堀、竪堀、井戸、土橋、碑、説明板
現状 滝山公園
築城年 大永元(1521)
築城者 大石定重
歴代城主 大石、北条
形式 平山城(比80m)
訪城日 2003/7/12
空堀
【道案内】

【感想・メモ】
たきやまじょう
【歴史】
TOPページへ
縄張図(現地説明板より)
国道16号で多摩川を「拝島橋」で南へ渡ってすぐの「拝島橋南」信号を右折して「滝が原運動場」を越えます。越えてから300m程行った路地を左折します。そのまま道なりに行くと滝山公園で、この公園が城跡です。公園に駐車場が完備されています。
空堀と土塁の深さ、高さに圧倒されました。それにかなりな規模!そして本丸への枡形虎口がまたまた格好いい!!各曲輪の土塁もしっかりしているし、土橋も見られるし、とにかく遺構がた〜っくさん見られて大満足!
大永元年(1521)、高月城を居城としていた武蔵国守護代・山内上杉氏の重臣・大石定重が築城した。天文15年(1546)、北条氏康が河越夜戦の勝利から武蔵一国をほぼ支配した際、定重の子・大石定久は北条氏に属し、氏康の3男・氏照を養子に入れて隠居した。永禄2年(1559)頃、氏照は滝山城に入った。永禄11年、武田信玄が駿河へ侵攻した事により甲相駿三国同盟が破棄され、北条氏と武田氏が緊張状態に入った。永禄12年、信玄が関東に侵入し、滝山城攻略へと滝山城から多摩川を挟んだ対岸の拝島付近に布陣したが、滝山城の守りが堅かったので退いて、小田原城へ向かった。この後、城主・氏照はより堅固な城の必要性を感じ、八王子城を築城した。天正8年(1582)頃、八王子城に移ったため滝山城は廃城となった。
堀切