用土城 |
別名 | 高城 | ||
所在地 | 埼玉県寄居町用土字北沢 | ||
遺構等 | 碑 | ||
現状 | 公園、神社、宅地 | ||
築城年 | 天文15年(1546) | ||
築城者 | 藤田右衛門佐康邦(用土新左衛門) | ||
歴代城主 | 藤田氏(用土氏) | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2009/1 | 感想 | − |
ようどじょう |
JR八高線「用土駅」から南南西へ約800m。国道254号「仙元前」信号を北東へと県道265号に入り、200m程先の1本目の路地を左折します。右手に蓮光寺を過ぎながら500m程北上した右手に公園があり、この東方が城跡で、付近に駐車可能です。 |
城跡は農地や宅地となり、遺構はありません。公園の東方が城跡で、公園に城址碑があるのみです。 |
戦国期、武蔵の豪族藤田右衛門佐康邦が優勢なので、相模国小田原城主北条氏康は関東制圧のため、その子氏邦を養子として遣わした。天文15年(1546)、従来の居城である花園城と天神山城を養子北条氏邦に譲り、康邦は用土城を築城して移り、隠退して用土新左衛門と称した。弘治元年(1555)用土新左衛門が没すると長子弥八郎が跡を継ぎ用土新左衛門尉重連と称した。重連は天正6年(1578)上野沼田城で北条氏邦に毒殺され、弥六郎信吉が跡を継いだが、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原の役の際、鉢形城が落城し、用土城も落城して廃城となった。(現地石碑、『中世北武蔵の城』梅沢太久夫著、『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照) |