騎西城
別名 私市城、根古屋城、山根城
所在地 埼玉県加須市(騎西町)根古屋
遺構等 模擬天守、土塁、説明板
現状 図書館、生涯学習センター、畑、宅地
築城年 康正元年(1455)頃?
築城者 長尾景仲?、上杉房顕?
歴代城主 佐々木、小田、成田、松平、大久保
形式 平城
訪城日 2009/7 感想
【感想・メモ】

天神曲輪南側土塁

騎西城は沼や湿地に築かれたお城ですが、現在宅地化されています。生涯学習センター付近は天神曲輪で、その北側に二の丸、本丸と続きます。生涯学習センターから道路を東へ渡ると、天神曲輪の南側土塁が残っています。城跡は広かったようで、周辺を歩いてみると、天神曲輪、二の丸、的場跡、大手門跡、御蔵屋敷跡の標柱や、障子堀跡の説明板があります。
【道案内】
城跡の地図

きさいじょう
東武伊勢崎線「加須駅」から南南西へ約2.3km。国道122号「騎西町役場前」信号から600m程南東へ進んだ「西ノ谷」信号を左折します。900m程北上した左手に模擬天守型の資料館や騎西町図書館がありますが、この一帯が城跡で、駐車場が完備されています。
【歴史】
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築城年は不詳だが、康正元年(1455)鎌倉を追われ古河に本拠を置いた足利成氏が、山内上杉氏の一族・庁鼻和性順や家宰・長尾景仲が守る騎西城を攻略したのが所見である。永禄6年(1563)、松山城救援に間に合わなかった上杉謙信は、小田助三郎が守る騎西城を攻め落としている。天正18年(1590)小田原の役後、関東に入った徳川家康は松平康重を2万石で城主とし、その後、大久保忠常、忠職父子が城主となった。寛永9年(1632)忠職が美濃加納城へ移封となり、騎西城は廃城となった。(現地説明板参照)