足利政氏館 |
別名 | |||
所在地 | 埼玉県久喜市本町7丁目 | ||
遺構等 | 水堀跡、碑、説明板 | ||
現状 | 甘棠院 | ||
築城年 | 永正15年(1518) | ||
築城者 | 足利政氏 | ||
歴代城主 | 足利政氏 | ||
形式 | 館 | ||
訪城日 | 2009/7 | 感想 | △ |
あしかがまさうじやかた |
JR・東武「久喜駅」から西北へ約1.1km。久喜駅西口から1km程北西へ進んで右折すると、甘棠院というお寺があります。ここが館跡でお寺に参拝者用駐車場があります。 |
館跡は甘棠院というお寺になっていて、立派な山門の脇からお寺の西側にかけて堀が良く残っています。ここの堀は水堀だったようです。お寺には政氏のお墓もあります。お寺の北側にも堀と土塁があるようなのですが、確認不可能でした。 |
古河公方足利政氏の館跡である。政氏の父成氏は、文安4年(1447)信濃より帰り鎌倉公方となったが、関東管領山内上杉氏と抗争の後、古河に移って古河公方と称し、伊豆の堀越公方、山内上杉氏、扇谷上杉氏との勢力争いを続けた(享徳の乱)。その後、政氏は子高基と対立し、永正9年(1512)小山政長を頼ったため関東諸氏を巻き込む武力抗争となった。この争いは高基が古河公方の実権を握ったため、永正13年、政氏は祇園城を出て、円福寺を経て岩槻城へ移り、出家して道長と名乗った。翌永正15年頃、ここ甘棠院に隠居したと伝えられる。以後、政氏は享禄4年(1531)66歳で没するまでこの館に居住した。(現地説明板、『日本城郭大系』新人物往来社 参照) |