城跡の地図
長光寺城
別名
所在地 近江八幡市長光寺町
遺構等 曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸
現状 瓶割山
築城年 室町中期
築城者 佐々木四郎政堯
歴代城主 佐々木、柴田
形式 山城(比120m)
訪城日 2006/12/16
【道案内】


【感想・メモ】
ちょうこうじじょう
【歴史】
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近江鉄道八日市線「武佐駅」から南へ約1km。国道8号「六枚橋」信号を南東へと県道14号に入ります。600m程南下した路地を左折し、150m程東進すると道が二手に分かれます。どちらからも行けますが右手の道で行った場合、そこから500m程進むと右手に「妙経寺」があり、正面にトンネルが見えます。道はトンネル手前で左折し、右手に「日吉神社」があります。このトンネルもしくは神社から登る(どちらもすぐ同じ場所に辿り着きます)と20分もあれば主郭です。車は神社前の公園付近に停めました。
トンネルからだと「不二滝」手前を左へ行った広場奥右手に登城道があり、日吉神社からだと階段が見えた所で斜め右の道へ行くと登城道となります。どちらでも同じ登城道に着きます。また、日吉神社の鳥居に向かって少し左手に、お城の案内板があります。登りだして15分もすると曲輪に出て、見張台もあります。そこからすぐに堀切を通って、更に5分程登ると主郭と二の郭の間の堀切に出ます。左手が主郭で、側面に石垣があります。主郭は結構広く、奥から右手へ(北東)行くと古井戸が見られ、その先に三の郭(地蔵群)があります。戻って、主郭から土橋を通ると二の郭ですが、ほとんど藪と木立に覆われ、郭の東側が通路のようになっています。そのまま南へ行くと二の郭の下にも石垣があり、その先に堀切があります。一通り遺構が見られるものの、藪で見にくかったのが残念でした。
応仁の乱で西軍に属した観音寺城主・六角宗家重頼に対し、一族の佐々木(六角)四郎政堯は東軍に属し長光寺城を居城とした。永禄11年(1568)、織田信長の上洛戦で六角勢が籠城したが落城した。元亀元年(1570)、織田信長は柴田勝家を長光寺城に置き、六角義賢・義治父子への押さえとした。六角父子が長光寺城を攻めた際、籠城した勝家は苦戦し、水瓶を割って討って出たことから「瓶割柴田」と呼ばれ、城も別名「瓶割城」となった。天正4年(1576)安土城築城の頃、廃城となった。
登城口の地図