城跡の地図
安土城

別名
所在地 近江八幡市安土町下豊浦
遺構等 曲輪、空堀、竪堀、堀切、土塁、
石垣、屋敷跡、碑、説明板
現状 城址公園、山林、寺
築城年 天正7(1579)
築城者 織田信長
歴代城主 織田信長
形式 山城(比105m)
訪城日 2007/4/14
【道案内】
【感想・メモ】
あづちじょう
【歴史】
TOPページへ
県道511号「下豊浦」信号を東へと県道2号に入り、400m程東進した信号を左折して200m程北上した右手の山が城跡です。城跡の手前に有料駐車場が完備されています。入城料500円
大手道がすっかり復元整備され、真っ直ぐに伸びる少し幅が広い道とその両側の石垣に感動します。その両側には主だった家臣の屋敷跡があります。二の丸に信長の廟所があり、天主には礎石があり、想像するだけで楽しいです。ハ見寺の方にも石垣が残り、今にも倒れるのでは?と思えてくる三重の塔があります。今は天守の姿は見えないものの、沢山の夢と創造力を掻き立ててくれるお城です。

安土城全体の縄張図はこちらをご覧下さい

主郭部縄張図(現地説明板より)
安土城は、天正4年(1576)織田信長が琵琶湖湖岸に築城を開始した。丹羽長秀を総普請奉行とし、7年の歳月をかけ完成した。この地を選んだのは、岐阜城より京に近く利便性が良い点、また北陸街道から京への要衝にあり信長の最大の脅威であった上杉謙信の上洛を阻止できる等がある。信長の天下統一事業を象徴すべく、山頂には壮麗な天守を築いて信長が居住し、家族は本丸付近で、家臣は山腹または城下の屋敷に居住した。天正10年(1582)本能寺の変で信長横死後まもなく廃城となった。この城が、安土桃山〜江戸時代初期にかけて相次ぎ日本国中に築城された近世城郭の模範となった。