豊臣秀次居館
別名
所在地 近江八幡市宮内町
遺構等 曲輪、石垣、石段
現状 八幡公園、山林
築城年 天正13(1585)
築城者 豊臣秀次
歴代城主 豊臣秀次
形式 居館
訪城日 2006/4/2
【道案内】


【感想・メモ】
とよとみひでつぐきょかん
【歴史】
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「近江八幡駅」から県道502号で北上します。1.2km程進んだ「中村町」信号を過ぎ、更に1.2km程直進して八幡掘に突き当たったら左折します。100m程西進して右折し八幡掘を渡り、100m程行くと正面に図書館があります。図書館の右手(東)を北上すると(車はすぐに進入できなくなります)「八幡公園」があり、この公園の西側に居館跡があります。車は、図書館の駐車場か八幡公園の南東側に公園駐車場があるので、そこを利用すると良いでしょう。
図書館の裏手にある八幡公園に入って左手(西側)へ行くと居館跡が見られます。大手道を上へと行くと、かなり大きな石を使った石垣が見られます。あまりに立派過ぎて見とれて声が出ないくらいです。しかも、竹林の中にも石垣があり、あちこち石垣だらけ。これはスゴイです!石段が残っている部分もあり感動しながら居館跡の中心地と思われる削平地へ入ったら、ビニールシートと藪だらけで、あまりの落差にきょとんとしてしまいました。
天正13年(1585)、豊臣秀次は近江国の三郡と大和国の一部を合わせた43万石を領し、八幡城に入った。秀吉は水口城主・中村一氏と佐和山城主・堀尾吉晴、長浜城主・山内一豊、一柳直末の四人を補佐役に命じ八幡城を築かせた。城は山頂部分を本丸とし、周囲の尾根に北の丸、二の丸、西の丸出丸を配し、山の中腹から麓にかけて居館や重臣屋敷を構えた。天正18年、小田原征伐で戦功のあった京極高次が城主として入城した。文禄4年(1595)秀吉と側室淀との間に世継ぎが生まれると、後継者を巡り秀次は謀反の罪を着せられ切腹、京極高次は大津城に移封され八幡城は廃城となった。
館跡の地図
案内図(現地説明板より)