浅小井城 |
別名 | 武双山湖月城 |
所在地 | 近江八幡市浅小井町 |
遺構等 | 堀 |
現状 | 畑、宅地 |
築城年 | 鎌倉時代初頭 |
築城者 | 浅小井四郎長家 |
歴代城主 | 浅小井(深尾) |
形式 | 居館 |
訪城日 | 2004/10/30 |
あさこいじょう |
県道2号沿いの「八幡養護学校」から東進し、すぐに川を渡り、渡り終わってすぐの路地を左折します。300mほど進んで右折し、300m程行った3本目の路地(左手に「浅小井ふれあいセンター」あり)を右折します。50m程行った左手奥の畑が城跡です。 |
周辺には水路があり、堀跡と思われます。また、あちこちに説明板があるので、遺構は特にないのですが、見て回るのに楽しめます。 |
鎌倉時代初頭、浅小井(深尾)四郎長家が築城した。深尾氏10代・加賀守元泰が足利将軍義政の幕下にあって当地を領有後、11代元範は佐々木(六角)高頼の命により文亀元年(1501)築城した。12代元秀、13代元忠と続き、永禄年間、伊庭氏が領有を画策したが、六角承禎義賢はそれを避け、甲賀武士の山中大和守俊好に与えたが、永禄11年(1568)織田信長の侵攻で落城した。安土城築城後、城はこの地の豪族・伊佐志摩守に預けられ、信長の鷹狩の際は伊佐氏別邸に立ち寄り休息したと伝えられる。天正12年(1584)秀吉は池田秀氏にこの城を与えたが、池田氏が文禄4年(1595)に伊予大洲に転封し城は破却された。(現地説明板より) |