大洲城
【歴史】
別名 比志城
所在地 愛媛県大洲市大洲
遺構等 復元天守、高欄櫓、台所櫓、苧綿櫓、南隅櫓、石垣、内堀、曲輪、説明板
現状 城山公園
築城年 元弘元年(1331)
築城者 宇都宮豊房
歴代城主 宇都宮、藤堂、加藤、脇坂
形式 平山城
訪城日 2009/9

【道案内】
城跡の地図

【感想・メモ】
2004年に木造復元天守が完成し、石垣も積んであるのでカッコいい雰囲気です。でも、現存櫓4基がやはりいい!大洲高校の方にある三の丸南隅櫓を見に行くと、立派な石垣が残っていて見応えたっぷりです。また櫓の前のグランドは堀跡です。
元弘元年(1331)、伊予守護・宇都宮豊房が築城した(地蔵ヶ岳城と称した)。永禄2年(1559)、8代豊綱の時、土佐長宗我部氏に属して湯築城主・河野氏を攻めたが、河野氏の援軍毛利氏に攻められ、宇都宮氏は滅亡した。天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国征伐後、戸田勝隆・藤堂高虎が大洲城主となったが、慶長14年(1609)淡路洲本から脇坂安治が5万3千5百石を領して入城した。元和3年(1617)、脇坂2代・安元が信濃飯田へ移封となり、替わって伯耆米子より加藤貞泰が6万石を領して入封した。以後加藤氏の居城となり、13代泰秋の時、明治を迎えた。
おおずじょう
JR予讃線「伊予大洲駅」から南へ約1km。国道56号「肱川橋」で肱川を南へ渡り、渡り終って2本目の路地を右折します。200m程西進して右手に「大洲郵便局」を通り過ぎたら右折し、市民会館の前を北上すると城山公園があります。ここが城跡で、市民会館前に有料駐車場があります。

詳しくは、こちらをご覧下さい。・・・大洲市ホームページ
TOPページへ